
ニョマン スリャナ
NYOMAN SURYANA さん
出 身 国 :インドネシア
在留資格:特定技能2号
勤 め 先 :株式会社 しらみずファーム
栽培部門

NYOMAN

入社したのはいつですか&入社のきっかけ
2014 年に技能実習生として来沖、別の農家で 3 年間働き、いったん帰国。帰国後、日本の農業の仕事を探していたところ、友達からしらみずファームを紹介してもらい応募し、面接を経て 2019 年 10 月に特定技能 1 号として入社しました。
仕事の内容は
冬は菊、夏はオクラの栽培から収穫まで行っています。
今は 3 種類の菊を栽培しており、収穫・集荷作業で忙しい。オクラは 3 月から種まきをして夏に収穫します。
職場の雰囲気はどうか?
快適です。仕事がしやすい雰囲気。みんなバリ島出身で食事も一緒に取り、仲良くやっています。
※ 現在、外国人職員21名の内、特定技能ビザ20名、永住ビザ1名で働いている。
これまで仕事で大変だったことは?
初めてオクラの栽培をしたとき、ちゃんと育つか心配でした。今は慣れたが、最初は栽培方法が難しくて、成功した時はとても嬉しかった。
夏に小菊の栽培をしていた時は、平張りハウスで作業するため、風が入らず、とても暑いのが大変です。
これまで働いて嬉しかったこと
今いるスタッフの皆と一緒に、チームで働けることが嬉しいです。


特定技能 1 号から 2 号になったと聞きました。おめでとうございます!
はい。去年の 9 月に試験に合格しました。そのあと、在留資格変更をして 11 月に許可が下り、特定技能 2 号として働いています。
特定技能 2 号になるにはどうすればよいですか?
試験を受け合格することです。試験はパソコンで受けることができて、農業に関する 5 択問題が 50 問、すべて日本語で出題されます。私は 4 回目のチャレンジで合格しました。
特定技能 2 号になった気持ちはどうですか?
はい。ずっと沖縄で働けるので嬉しいです。
特定技能 2 号になろうと思った理由を教えてください。
一つは、将来家族(奥さん)を呼びたい。もう一つは農業をもっと長くやりたいからです。
現在、農業の特定技能 2 号の試験は日本でのみ実施されているため、特定技能 5 年満了前の 2024 年 10 月までに試験に合格できなかったら帰国するしかなったので不安でした。4 回目を受けるときは、朝昼晩で 1 日に 2時間くらい、毎日勉強していました。
諸見里社長:
最初、何回も落ちていた頃は、皆もう自分たちは「2 号無理だな~」と思う状況が続いていたが、彼が受かったことによって、今どんどん私も受けたい。私も受けたいといって勉強している子たちも増えてきた。彼が先駆けになってくれて、後に続く人が出て来る良い循環になっている。


近年の農業はトラクターなどの機械化で作業が効率的に行えるようになりました。しらみずファームも可能な限り機械化を図っています。

成長したなと思うところは?
社長の指示を理解してすぐに動けるようになったところです。今は菊を選別する機械を任されていて、機械のトラブルが起きた時には自分で直せるようになったことです。
後輩に教えたりしますか?
新人 に教えるというよりは、すぐ下の後輩に教えることが多く、教えながら自分も再確認して覚えている。わからないことがあれば、みんなが聞きに来る。みんなから頼りにされています。
これからどんな仕事をしていきたい?
トラクターをやりたい。難しいけど、やってみたい。オクラをネットに入れる機械を扱ってみたいし、扱える機械を増やしていきたいです。
どんな後輩が来たら嬉しい?
真面目な人。働き者。体力がある人。
沖縄に来た時の印象とびっくりしたこと
バリ島と文化が似ている。天気とか海、豚肉を食べるところは似ていると思った。
ビックリしたことは、日本人の話すスピードが速くて、何を言っているのかわからないことや方言も多くてびっくりしました。今は言葉も大体わかるようになり、沖縄料理も好きになりました。
将来はバリ島で農業をやりたいですか?
長く沖縄で働きたいです。10 年後、20 年後には考えたい。

特定技能受入れ
企業の声
(15分31秒)
動画内容概要:
① 受入れのきっかけ、採用ルート
② 採用計画から入社までにかかった期間
③ 人材は自社で選んだのか?
④ 面接などで人材を選ぶ決めては
⑤ 受入れにあたり会社側で準備したこと
⑥ 受入れ前の気持ちと受入れ後の感想
⑦ 外国人を雇用して社員の反応や変化
⑧ 外国人材が従事している仕事内容
⑨ 仕事を教える際のコミュニケーションのとり方
⑩ 雇用後、これは大変、難しいということはあるか
株式会社 しらみずファーム
取締役
諸見里 貴也




しらみずファームは、先祖代々沖縄県本島南部の八重瀬町具志頭で農業を営んでいました。
初代が明治初期にこの地を開墾して以来、100年以上に渡って大地と共に歩んできました。
